私はこれまで任天堂にて約15年ほどプロモーションのデザイン業務に携わっていました。父の認知症悪化をきっかけに人生を見つめ直し、独立を決意しました。 任天堂での経験をもとに、デザインでお困りの個人事業主・中小企業様、誰もが知っている大企業まで、クオリティにこだわったデザインでサポートさせていただいています。また、ビジネスにおいてトータルでの「ブランディングデザイン」を重要視しています。 30歳の時には、「一流のデザイナーとして成長したい。」「このままで良いのか?」他の業界のデザインを経験してみたいという想いで転職活動しましたが、2度の失敗を経験し断念しました。 そして、2016年2月に独立。 独立してはじめてわかったことがあります。任天堂社内で重要視されていたグラフィックデザインが、スモールビジネスにおいては非常に価値が低くあまり理解されていない。クラウドソーシングが当たり前、安易に短絡的にデザインが消費されていることに危機感を感じました。 一方、デザインの価値を大切にしている方もいらっしゃいます。NASUの制作実績を見て「感動しました!」と依頼をいただけています。「良いデザイナーとはなかなか出会えない」独立してからそんな声をたくさん聞きました。「修正してくれない」「デザインを押し付けてくれる」「仕上がってきたデザインに満足できない」。“なんちゃってデザイナー”が本当に多いそうです。「私は良いデザインを確実にしたい!」という姿勢で質の高いデザインにこだわっております。 「お客さんに喜んでもらえること」これはデザイナーにとって一番の喜びです。効果のあるデザイン、良いデザインを常に追求しています。 私は生まれも育ちも関西。現在も兵庫県伊丹市に住んでいます。ネットのおかげで全国からご依頼をいただけるようになりました。いろんな人と関わり、デザインで喜んでもらえるように頑張っていきます。 アートディレクター/グラフィックデザイナー ここからは前田の半生をつづってみました。 兵庫県にある報徳学園
という高校に通っていました。お恥ずかしながら、自分で選んだわけではなく母親の勧めに従っただけです。「私学に行け」と。近くの公立高校に行ったら仲の良い友達がいっぱいで、ますます勉強をしなくなると思ったのでしょう。母親に逆らわなかったのは、自分もなんとなく新しい環境に行きたかったのかもしれません。自転車で一番近い私学、偏差値もさほど高くない、報徳学園にしました。部活が盛んないわゆるスポーツ学校なのですが、勉強にも力を入れ始めたところでした。野球、ラグビー、陸上、柔道など、いずれも全国クラス。新しいことを始めようと思った僕は初心者でも追いつける「弓道」をすることにしました。性に合っていたのか、かなり真剣に取り組めました。全国大会までは行けませんでしたが、秋季大会で団体2位。近畿大会に出場しました。個人成績は赤穂義士祭で高校1年の時に優勝。 高校3年生の春。弓道の練習中に人生の転機が訪れます。 顧問の先生の一言、「君らはいいよな。若いからなんでもできる。総理大臣にだって、なろうと思えばなれる。」 この一言で「あ、そうなんや」と気がついた。「後悔するような生き方はしない」と決めました。それまで弓道のスポーツ推薦での受験をなんとなく考えていた僕は考え直しました。弓道に打ち込んでいて忘れていたのですが、中学の時に考えていた将来やりたい仕事は、「絵」か「英語」に携わる仕事。英語は得意というほどではなかったのですが、興味がありました。でも、弓道やりながらも絵は書いていたので「やっぱり絵がやりたい。芸術大学に行こう。」決断した高校3年生の6月。 母親は猛反対。たまたま新聞のテレビ欄で見つけた「中の島美術学院」と「代々木ゼミナール美術コース」。電話をして資料請求しました。届いたパンフレットを見て衝撃的でした。「絵がうますぎる・・・写真やん」母親は「こんなん描けるんかい!」。しかし、父親だけは賛成してくれました。「4浪でも5浪でもしたらいい。兄弟で一人くらいそんなやつがおったほうが面白い。」と言ってくれました。父親には本当に感謝しています。今は認知症になってしまった父をサポートしたい気持ちになったのもこの時のことが大きかったりします。 中の島美術学院の8月の夏期講習から参加しはじめて鉛筆を削って鉛筆デッサンを習いました。自分で言うのもなんですが結構頑張りました。でも、健闘むなしく受験は惨敗。どこにもひっかからず。とても落ち込みました。 逆に浪人して良かったと思える一年にしよう。「1年間、絵の修行だ!」と決心しました。 ひきつづき通っていた中の島美術学院
の関西美大受験コースに入学しました。受験失敗のショックと1年後の不安から、ストイックになっていました。「まわりの人たちは全員ライバルだ!」くらいに考えていて、とにかく余裕がなく必死でした。当時の美大受験は東京芸大じゃなくても2浪、3浪する人がざらにいました。絵がうまいのに試験で通らないという人もいました。「ほんまに受かるんかい」。とにかく不安で不安で仕方がない毎日。毎日反省ノートをつけて、毎日楕円形を描く練習をしたり、家でも修行です。デッサンはともかく「色彩構成」が大の苦手で苦労しました。ある先生がつくった課題をやりまくってなんとか克服。夏の学内コンテストで総合2位になり、やっとホッとできました。 後からわかったことなのですが、中の島美術学院というところは、受験コースにもかかわらず、全く受験に力を入れていませんでした。「受験のための絵を習ったって仕方ないやん」と言うスタンス。「おまえらが落ちようが受かろうがどうでもいい」というショッキングな一言。色の課題を作った先生です。今から思えばそれが良かったのかもしれません。ほかのアトリエは、大学の試験対策が用意周到でそれがメイン。大学を受かるのが第一目的。それはそれで正しいことなんですが・・・「中の島」は本当の意味で「芸術の楽しさ」を学べた気がします。また、「芸術とは?」「美術とは?」と語り合える仲間にも出会えました。 途中スランプのような、絵が描けなくなる時期があったのですが、なんとか大阪芸術大学の推薦入試で一発合格。その時点で受験はもう終わりにしました。今から思えば、東京の大学も受けとけば良かったのですが、その時は少しも思いませんでした。受験はやめたけど、高い学費を払っていましたし、受験から解き放たれた解放感の中で絵を描くのが楽しくてずっと通っていました。石膏デッサンを美術コースの人たちと描いていました。だんだん石膏デッサンのコツがわかってきて、ある先生から「来年、東京芸大受けへんか?」と言われました。さすがにそれは・・・と思って流してしまいました。 何かに打ち込むのが好きで、受験後何かやろうと思い、ダイエットに没頭していました。結構、痩せました。20kgくらい。元々が太りすぎてただけなんですよね〜。 大阪芸術大学
視覚伝達デザインコースへ入学しました。1年生の時はとにかく遊びまくりました。部活と受験の反動です。お恥ずかしながら大学デビューってやつです。やりたいこと全部やろう、と。展覧会をしたり、指輪つくったり、洋服を作ったり、カメラ部みたいなこともやっていました。展覧会の時であった人のデザインの仕事をお手伝いさせてももらうこともありました。独立した今、一緒に仕事をしているので不思議なものです。2年からはそろそろ、スイッチ入れようとリ・スタート。きっかけは、浪人時代の中の島で同級生のの女の子から、「前田君は卒業後なにを売り(スキル)にして食べていくん?」と言われ、何も答えられない自分がすごく悔しかったんです。 2年生の時に出会った先生の影響を今でも大きく受けています。その時、その先生のゼミは同じ学年の人、4人だけでした。人気がないこの先生だいじょうぶかな・・・と。最初は「え〜」と思って履修を変えようかと思ったのですが、変えなくて正解。尊敬できる先生でした。リアルのデザインの現場につれていってもらったり、デザインについて丁寧に話してくれました。何度も「もう一度説明してください」と言うしつこい僕が理解するまで丁寧に教えてくれました。文字組みのことなんて考えた事もなかった。今まで僕はデザインコースと言っても「アート寄り」だったのですがこの先生のおかげで、デザインが楽しくなり、真剣に向き合うようになりました。だんだん広告やデザインの世界に興味が湧いていきました。 これからはデザインをやるならメーカーが良いかもしれない。そう思ってメーカーを受けました。さらに、自分の好きな分野であるエンターテイメント業界。それも宣伝部に運よく配属されました。この配属は今から思うと奇跡でした。当時、通常は新入社員は開発に配属されると決まっていました。研修の時にやりたい仕事をアピールする場があって「商品の魅力を伝え、ドキドキさせる仕事がしたい。」とアピールしました。たまたま、タイミングが良かったのかもしれません。配属された時は、デザイナーの上司と2人体制でした。この会社への入社の大きな後押しになった「会社案内」のデザインをした人でした。上司は多くは語りませんが「デザインは小手先のものではない。難しいものでもない。良いか悪いか。」と教えてくれました。この配属された部署は、少数精鋭ですごい人がたくさんいて、広告代理店出身の凄腕クリエイティブディレクター、身近な先輩も仕事ができる方ばかりで、毎日劣等感を感じていました。「デザインや芸術」でがんばるしかない。浪人時代のような不安な毎日がよみがえりました。 「とにかく勉強しないと!」デザイン関連、広告関連の本を読みあさり、高額なセミナーに通ったり、なんとか渡り合っていこうと必死でした。成長したい。自信をつけたい。良いデザインが作りたい。そんな思いでストイックな20代をすごしました。僕はそういう状況の方が好きな気がします。間違いなく今の僕を作ってくれたのはこの部署とチームの方々、そして直属の上司です。 充実した会社員生活を送っていました。とにかく良いデザインが作れるようになりたい一心でした。30歳が近づくにつれ一つの焦りが生まれました。「このままでいいのか」「自分はどれだけできるのか」「なにがだめなのか」それを探し始めます。28歳の冬、水野学氏(good design company)の採用面接を受けに東京へ。転職活動を通じて答えを見つけることになりました。 第4話 デザイナー前田、30歳になり焦りが復活。再び動き出す。 デザインの仕事が少し板についてきて、他のことに興味が湧いてきました。子育て、ゴルフ、オンラインゲーム、スポーツジム、餃子部に打ち込みました。一度、ハマったらとことんやる性格なようで、特にゴルフは非常に難しくてどハマりしました。週4で練習に行ってましたね。会社の方も業績がよく、次第にできることが増え、楽しくいろんなことに打ち込んでいました。会社では役職をつけてもらい、デザインチームのリーダーになりました。 楽しい会社生活だったのですが、2015年いっぱいで14年間勤めた会社を辞める決心をしました。会社の仕事が嫌になったとか、人間関係が嫌になったわけではありません。 自分がやるべきことと、やりたいことが合わなくなったのが理由です。 私の父は、父が65歳ときに認知症が発覚しました。認知症がひどくなるにつれ、病院や警察にお世話になることもしばしばで本当にいろんなことがありました。私の自宅から会社までの距離もあり、大事な場面で助けられないジレンマが続きました。現在、介護施設にもお世話になっておりますが怒りの感情が抑えきれず、トラブルが起こってしまいます。他人との共同生活が難しいのです。 また、父親の親族がみんな若くして認知症になっていることを知り、自分の残りの人生、このままで本当に良いのかと考え始めました。
家族、母と妻を支えるべき 会社には、お世話になった部署の方々や共にがんばってきたグループメンバー、特に入社以来お世話になっていたお師匠様には本当に申し訳なく本当に苦渋の決断でした。ただ、本当にやりたいこと・やるべきことがあるのに、このまま「中途半端な姿勢で会社の業務に当たる方が申し訳ない」と思い辞めることを決心をしました。 私の勤めている会社は、国内外で比較的知名度が高いグローバル企業です。そこに新卒で入社し、プロモーションに携わっている部署にグラフィックデザイナーとして配属されました。異動は一度もなく14年半みっちり宣伝広告に携わりました。
ポスターやパンフレット、POPなど店頭販促物 デザイン、広告企画、イラスト制作、写真、コピーライティング。 クリエイティブにこだわりが強い人が多い企業でしたので、求められるクオリティも非常に大きかったです。その中で14年間みっちり取り組んできたことは、私にとって大きな自信になっています。 近年、ビジネスではブランディングが主流になり、デザインに理解がある方や企業が増えてきているものの一般的にはまだまだデザインにする優先順位が低いのではないでしょうか。 デザインには「良くすること」ができる。 例えば、ユニクロは今やブランドイメージが「品質」「デザイン」良いイメージですが、ひと昔前は「ダサい」「安い」イメージで着いてると恥ずかしいものでした。1999年の戦略的なデザインでガラッとイメージを変えました。これはファッション業界に限りません。例えば、和菓子屋さんであれば、「おいしい」「上品」というイメージに変えられます。「I love NewYork」のロゴマーク。一度は見にしたことがあると思います。元々は観光キャンペーンのロゴマークですが、現在でもニューヨークを象徴するマークになっています。 良いデザインには“大きな力”あると信じています。もっとデザインの価値を広めたい。良いデザインであなたのお役にたちたい。そう考えて活動しています。 最後まで読んでいただいてありがとうございました! デザインのご依頼(ご相談)はお問い合わせフォームからご連絡ください。 はじめに
前田高志高校時代 「弓道に打ちんだ3年間」
浪人時代 「とにかく絵を描きまくった1年」
大阪芸術大学 「デザインに目覚める」
メーカー宣伝部 「デザイナー修行の20代」
20代後半 「30歳を目前に焦り」
安定してきた30代 「いろんなことに打ち込む」
やるべきことやりたいことを求めて 「14年半勤めた会社を退社する。」
デザイナーとしてチャレンジしたい14年半、やってきたこと。
ロゴマークのデザイン
キャンペーン
グッズデザイン
フォント制作、
ホームページなどのデジタルコンテンツ
イベント
雑誌広告
駅貼り広告、デジタルサイネージなどOOH
パッケージデザイン
新卒採用のパンフレットやポスター(面接官も)
CSRレポートやアニュアルレポートのデザイン …他
プロモーションにとどまらず、本当にいろんなことをやらせていただきました。これから 「デザインの力で役に立ちたい。」
まずは、ご挨拶。
最初に伝えておきますと、だらだらと長いプロフィールです。さらっと読み流してくださいね。